2年住んだダッカからコルカタへ
協力隊の帰国隊員は、今年度まで帰路変更というのができて、2週間程度日本に着く前に旅行ができる。
行くことができる国は少しばかり限られるが、危険な国でない限りだいたいの国は旅行できる。
バングラデシュから帰る人はだいたい、タイに立ち寄って帰る人が多い。私もタイに行くかインドに行くか迷ったが、隣の国インドを一度も見ないで日本に帰ることはできないと思い、インドに行くことにした。同期の隊員はインドに行っていたので、誰も誘いに乗ってくれなかったが、仲のいい隊員、大小コンビの2人が一緒に行ってくれることになり男3人でコルカタに行くことになった。
小さい方はハンドボール隊員、なにかと語りが入る沖縄出身のスケ、いつも飲み会では最後までがんばって起きている。もう一人の大きい方は、村落開発のオトコマエノッポ、ジュンノスケ。村上春樹をこよなく愛し、メールの最後に春樹の一文をそえて、受取人の心に深く突き刺す彼。ともに私のバングラ生活を豊かにしてくれた人たちだ。
基本的に隊員が徒歩でバングラを去る隊員は珍しい。飛行機に乗って上空からバングラデシュを見て、二年間の感慨に浸ることはうらやましかったが、いつもの国内移動のようにゆっくりと車窓からの田舎風景を見ながら出国するのもおもしろいと思った。
そしてコルカタに向かう僕たち三人は、いつもより高級なバス、「Shohug」の前2列、エグゼクティブクラス850タカ(1400円ぐらい)で悠々と足を伸ばしながら、少々過度の冷房が効いたバスでコルカタに向かった。
途中、休憩で止まったチャドカンでバングラデシュ最後のチャを飲んだ。チャドカンのおやじは、「日本人の顔はダメだ、きれいじゃない。ヨーロッパ人の顔がきれいだ。」と言ってきかない。客を全くもってもてなさないこの感覚、ドカンとストレートに「Bhalo Na」(not good)と目を見て言ってくる。悪気はないんだろうけど、くやしくもなる。でもこのオヤジみたいなのがたくさんいるバングラ、正直に話せて、人と人とが近くて心地がいいこの国ともさよならだ。最後のお茶はいつも行ってた地元のチャドカンに比べると落ちるが満足の味だった。
6時間ほどバスに揺られて着いたインドとの国境の町ベナポールは、思っていたとおり閑散としたトコロだった。バスに同乗していたベンガル人たちがそそくさと手続きを済ます中、我々日本人三人は最後尾を走りベンガル人審査官といつもの会話を繰り広げる。「ベンガル語できるのか!?」「何人だ!?」「日本人はいい奴だ」と、ベンガル語ができれば、ベンガル人もうれしがってくれて物事がうまく進むことが多い。 最後尾だったが、何とかインド側のイミグレーションも通り抜けて、バングラデシュの地を後にした。二年間住んだこの国を去るとき、もっと感慨がわくのかと思ったが、旅行をしているという感覚だったからあまり感傷的にならなかった。むしろインドへ行くというわくわく感が私を支配していたのだろう。さらに一人ではなく、周りに2人もいつもの話し相手がいたのもおおきかったのかもしれない。
インド側の国境は、国力の違いか、やはりバングラデシュ側と比べるとすこしだけ差があるように感じられた。
でも思ったほどたいした変化はなく、結局は同じ文字、同じコトバ、同じ服装、同じリキシャ、同じ顔が並んでいるので、あまり違う国に来たとは感じなかった。一番の違いは、ペイントだ。バングラデシュでは何かと赤と緑を使って町の何もかもが塗られていたのが、インド側に行くと、それがインドのトリコロールカラーになっている。これはその後行ったダージリンでもコルカタでも同じだった。日本人の色彩感覚でいうと、バングラデシュの重々しい色合いよりも、インドの色の方が心地がいい。そして我々三人はインド側の国境でインドのバスに乗り込み、コルカタを目指した。インドはバングラデシュの人から見れば、親玉のようなものであり、一歩も二歩も進んでる国だ。2年間バングラデシュで過ごしたボクも、なんだか田舎から初めて東京に行く人のような妙な感覚で窓の外をながめていた。そしてなぜかワクワクしていた。よく巷で聞く「インドに行って人生観が変わった」「インドに行ってボクは考えた」のようなインドの決まり文句。特に人生観が変わるという話はよく聞くのだが、はたしてどんな衝撃を受けて私を変えてくれるのだろうかという感覚があったからだ。しかし、私のそんな意に反して、窓の外の景色はバングラデシュ側のものと全く代わりのない田舎風景が延々と続いていた。
その後バスに揺られてぼーっと外を眺めていた私は、知らず知らずのうちに眠りこけてしまったようだ。目を覚ましたとき、すでにバスは光の洪水の中だった。「コルカタ」 インドでも混乱、混沌といったコトバの合う、生活臭に満ちあふれた大都会だ。日本人が想像するインドは、バラナシか、コルカタのどちらかではないだろうかと思う。コルカタの道は広く、車やリキシャ(ここは本当の手で引く人力車がある!)であふれているが、道はダッカのように渋滞したりしてはいない。快調に街中を飛ばすバスから眺めるコルカタは、10年前の大都会のようだった。それはたぶんそこに走っている車がレトロだったからなのかもしれないが、なんとなく、賑やかでいながら、時の止まった、どこか千と千尋に出てきそうな幻想的な夜の風景がそこにはあった。
バスがコルカタの停留所についたのは夜中の8時過ぎ。ダッカと比べても建物も多く商店の数も質も断然いい。その建物群からあふれる光で、町の一角はとても明るい。バングラデシュより古いようで新しいコルカタは、西ベンガル州の州都で、ベンガル民族が大半を占める。つまり、ベンガル語を話す人たちなのだ。インドを帰路変更にえらんだ理由は、せっかく覚えたこの言葉を違う国でも使ってみたいとおもったからでもある。英語を覚えた自分が、アジアを旅していろいろな人と話をした時のあの感覚を、ベンガル語でも味わってみたかったというわけである。
続く)