neji
生存報告
7.10.2009
5.30.2009
5.29.2009
5.27.2009
5.15.2009
5.08.2009
初夏
ついに子供が生まれた。姉の。
パパママはジジババに、MEも自動的に繰り上がっておじさんになりました。元気だったばあちゃんもぼけてきて、姉が結婚、出産、オカン仕事リタイアと世代交代が一気に起こってます。
5月に生まれた女の子、その名も初夏ちゃん。ショカって…はじめは微妙と思ったその名前も、繰り返すうちに心地よい響きになってきました。それどう読むねん!とか、「真凛と書いて マリンと読む」みたいな、英語の単語を漢字で読ますみたいな名前じゃなくて、ストレートに初夏、いいですな。赤ちゃんてホンマに赤いとはいうけれど、ホンマに赤いんですねぇ。ずっと見てても飽きないこのかわいさ(写真やのに)、周りの人は世話をせずにはいられないでしょう。夫婦も周りの人もみんなしっかりしててかっこいい人らなので、いい子に育つでありましょう。と思いつつも、いや、実はワガママで、泣き虫で…と妄想したりして楽しんでいます。
5.06.2009
深夜特急でのバングラの扱い
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深夜特急4巻でのヒトコマ。
沢木さんはバンコクからコルカタに飛んで、ミャンマーとバングラを飛び越しちゃったので、バングラに行ったことはないようだ。でも東パキ、西パキという昔は同じ国だった現パキスタンに入ってから、沢木さんはバングラのことをパキスタン人から聞いたらしい。ラホールに向かうバスの中でパキスタン人から聞いたバングラデシュの話はこんな感じ↓
たどたどしい会話の中で、もっとも印象的だったのは、東パキスタン、バングラ・デシュに関する彼らの意見だった。うげっ!パキ側からのひどい言われよう!
「我々は東を手放して 、かえってよかった。あんなお荷物をいつまでも持っていたら、こちらまで共倒れだった」
…
民族独立という美しい名の下で戦い、ようやく勝利したあとで、バングラ・デシュの人々が手に入れたものは、以前よりひどい飢饉と洪水と疫病だった。西の搾取に抗して起こした革命の、この栄光と悲惨。いや、それは革命などではなく、搾取の主が西から東の民族資本に移行しただけにすぎない、ともいわれるバングラ内部の退廃。
「もともとベンガルは、貧乏人や犯罪人が流れついてできた村がほとんどですからね、ろくな奴がいない。どうなっても自業自得です。」
いみじくも小生もバングラデシュにいた日本人とこれと全く同じ話をしたことを覚えている。冗談で「資源も観光資源もないし、パキスタンはバングラデシュいらんかったのと違う?」などと…いったこともある。バングラごめんなさい。
しかしながら、一見貧困や疫病に悩まされ、資源も何もないように見えるこの国の人々は自らの国と文化を愛してやまない。その根底には血を流して国を勝ち取った経験があるんだろう。愛国心の調査をすれば99%は国を愛しているというんじゃなかろうか。ただ国としてのぼやけた全体像を愛しているけれど、社会全体をよくしようという気風はまだまだ感じられない。自分の周り、特に家族親類、地域コミュニティでの彼らの振る舞いはあたたかく見ていても心地よいのだが、さらに広いコミュニティーに自分を結びつけるということはまだまだ苦手のようだ。家族ではステキだけど、「道に出たベンガル人はひどい(友達談)」、そのコトバを地で行く振る舞いが道路ではみられる。
5.05.2009
Slumdog Millionaire
I thought my English was good. I mean good in common sence, at least better than high school students. That was for sure. But somehow, that wasn't true.
I spoke Bengali and English when I was in BD with teachers, and students. I read some articles and some books written in English once in a while. When I read them, I use, of course, an electric dictionary to look up some of the words written in the article. But I didn’t need it so often like the time when I read novels!
I bought a paperback of “Slumdog Millionaire” some weeks ago. I liked the movie, especially the people, and the scenes of messy Indian towns and streets appeard in it. It reminded me of my 2-years lovely Bangladesh life. They speak Hindi in the movie, so I can catch some of the words and phrases that the actors say. Yes, Hindi is very close to Bengali.
Anyway, I bought this book, because someone wrote that the movie doesn’t deliver the important essence of the book. Also, she said that the book doesn’t have difficult vocabs, and even Japanese High school students could read it easily.
OK, well, Japanese high school students? Hmmm, I see. Maybe this is my kind of book.
I clicked the purchase button right after I read that. And now, I am at page 123, about 300 pages left. It took me weeks to read 123 pages. The words in the novel are far more difficult than what she wrote in her review! I had to use my lovely 6-year-old half-broken electric dictionary every 1 minute!
The reviewer is absolutely a lier.
According to what she wrote on the web, my English is not as good as high school students!
how sad..
Hope I will get standard English knowledge equivalent to Japanese high school students when I finish reading this book. And, actually, this is a good study. this makes me think that my English has lots of rooms for improvement.
So far, the story is pretty much different from the movie.
Most importantly, the heroine, Latika hasn't appeared in the story yet!
Where are you, Latika!?
4.27.2009
4.22.2009
シンヤトッキュウ
本屋でふと目についた深夜特急を手にとって、さんざん悩んだあげくに購入してしまった。今でもバックパッカーのバイブル的存在のこの本だけど、ボクが旅をしたきっかけは小林紀晴の『Asian Japanese』の方だったので、よみたいな、と思いつつもきっかけを逃してきた本だった。もうバックパッカーをする年でもないので、読んでしまってまた「行きたい!」などと危険な感情が芽生えたらイヤなので読まないでおこうと思ったけど、15分ぐらい 手にとっては置きを繰り返し結局買うことにした。全部で5巻ある深夜特急の単行本の中でボクが買ったのは3巻目の~インド・ネパール編~。相も変わらずそこら辺のエリアが気になるのです。二年間も住んでイヤというほど見てきたインド世界(バングラデシュ)なんてもういいんじゃないか、とも思ったけど、この前行ったコルカタや、バングラデシュを含めたあそこらへんの世界を沢木耕太郎はどう見てどう感じたのか、読んでみてもいいんじゃないかなと思ったのです。まだ半分しか読んでないが、ベンガル語、ベンガル人(広い意味で)のあるあるが満載されていて思わずそうそう、とうなずいてしまうシーンがたくさんある。たとえば、冒頭、ダッカを飛び越してバンコクからコルカタに降り立った彼は日本人2人と知り合い、同じホテルに泊まることにする。そのうちの一人「ダッカに行く予定の若者」は、こう説明されている。
「ダッカ行きの若者は、大学を放りだし、バングラデシュに通い詰めているという。パキスタンから独立したものの以前として飢餓と疫病に悩ませ続けているバングラ・デシュのために、ボランティアを組織し、新しい農村作りに協力しているという。」この人が今もバングラデシュに関わっているのかいないのかわからないけど、こういう人、本当に感心します。聞いた話ではバングラデシュには昔から無数のNGOがあったみたいだから、その人がどの組織で働いていたのかはわからないけど、その姿はボクがバングラデシュで出会った人の中で一番スゴいと思った人、ヒロキワタナベとオーバーラップする。彼はボクの一つ年上で、大学を卒業してから単身バングラデシュに渡ってきて、今まで約6年、ストリートチルドレンのためにNGO活動をする男。イケメンで、世界1アツくて、求心力120%のにいちゃんなのです。あぁいうひとと交わることができただけで、ボクは幸せだと思うぐらいヒーローな男だ。しかもイケメンなのがまたずるいのである。
とまぁ、そんなエピソードがあったり、インド人と30分も値段交渉したり、ずーっとついてくる物乞いの女の子がいたり、人力車夫のあばら骨が露骨に見えていたり、電車で会った人たちにお茶やサモサをおごってもらったり、あぁなつかしいとバングラデシュ郷愁がまた復活してきてるのでありました。
それにしても沢木耕太郎、感性と文才、そしてものの見方がとても豊か。彼にかかればインドは、鮮やかに、自分がその場で経験しているかのように切り取られて表現される。人物や出来事の描写も長すぎず、どんどんと自分が引き込まれていくのがわかる。そしてたまに織り交ぜられる彼の主観やコトバがそれに鮮やかな彩りを添えている。
こういうこと、そうははっきりと考えなかったけど、そう思っているというか そうやって2年間生活していたかもなぁと同意させられる。二年間のバングラ生活、こまめにまとめていればおもしろい本でもかけたんじゃないかと思ったりしたけど、文才とものを見るセンス、感性と教養がなければ、彼みたいな文章は書けないんだろうな。「ふと、このインドでは解釈というものが全く不要なものではないのかと思えてきた。ただひたすら見る、必要なことはそれだけかもしれないと思えてきたのだ。」
この本のタイトル、深夜特急だけど、基本的に移動は全部バスです。
4.21.2009
4.16.2009
学生から来たメール
sensei sometimes someone joke with me and say ‘hey man what u do to study japanese’they want to say it is just time pass without nothing..but that time i am not able to give any reasonable answer to them,but 1 day i want give them a reasonable ans.
訳)
先生、時々友達から「日本語勉強してどうすんの」といわれるんです。彼らはボクが、「ただの暇つぶしで、趣味みたいもんだよ」というとでも思ってるんだろう。 でもボクはその質問に対して、何も答えられませんでした。
でもいつか、彼らにいえるような答えを見つけたいです。
バングラデシュでの講師生活で、ボクが一番アタマを悩ましたこともまさしくそれなんです。
Jobsみたいにうまくいかなくても、日本語を勉強したことが、なにかしらエッセンスになったり、人生に厚みをもたせてくれたらいいとは思う。
でもそんなことわからないし、きれい事だとも思う。
経済的に貧しいこの国で学問が意味することは、「趣味は語学です」などということがまかりとおる日本とは似つかわしいものがある。日本語を勉強して日本にいけるのなら、学生は勉強するだろう。でも、大学で日本語を勉強しても、私がダッカにいるときはほとんどの学生が日本へ行くことができなかった。
ちなみにここバングラデシュのダッカ大学で日本語を勉強する学生の9割5分は「日本に留学したい」という理由からだ。そしてその中の9割5分の学生は4年間あるコースを修了することはなく、日本にも行けずにやめていく。勉強しても日本に行くことができないという大きな理由のためだ。
現時点では、ユニクロの進出を皮切りに、日本の企業、特に繊維産業に熱いまなざしを受けているバングラデシュ。おそらく数年後には建国以来初めての「日本語需要」といものがこの国で発生するのではなかろうか。しかし私が過ごしたバングラデシュ生活にはそんなものはなく、学生たちも先生たちも目標もなくダラダラと日本語を教えていた。その状況をどうにかしようとおもい、どうにかできなくて、結局同じようにダラダラと日本語を教えてしまったというバングラデシュの二年間だった。
経験のある先生から学ぶことはなかったので、からないこと、できなかったことが今でも山積みです。逆に、自由にやらせてもらった分、自分なりの授業スタイルを貫き通し、授業の中で好きなだけやることができ、たくさん学生と交わることができたことが一番良かった。学生の日本語能力はほとんど伸びなかったけど、授業準備の甲斐あって、楽しんでコトバを学んでいた。これからもその学生たちの中の9割以上は日本語を使うことはない。そんな彼らにとってはたして日本語を学んだことはどうこれからの人生に生きるのか。変な東洋人と交わって生まれた何かは、彼らの人生を果たして豊かにするのだろうか。まぁ、しないんだろう。
でも少しはしてほしいと思う。
という希望も込めて、
学生にはかの有名なSteve Jobsのスピーチを引用して送っておきましたよ。
connecting the dots, believe yourself








